北中城村について

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北中城村(きたなかぐすくそん)は、沖縄県中頭郡の村で、日本で最も人口密度が高い村です。
また沖縄県読谷村、茨城県東海村、福島県西郷村、沖縄県中城村に次ぎ、全国で5番目に人口の多い村です。
気候は一年を通して温暖な気候で様々な花々が咲き誇り、日本一早いひまわり祭り(1月中旬~2月上旬)が有名で約1万m2の広大な畑に40万本ものひまわりが咲き誇ります。

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北中城村の文化財

受け継いできたもの守り伝えるもの

北中城村には、先人たちから受け継いできた文化財が各地に残っています。
それぞれの文化財はいわば北中城村の歴史・文化の承認であり、シンボルです。
そして歴史や文化は単に過去の出来事ではなく、先人たちや未来の人々と時間をこえて共有できる財産なのです。
私たちはその価値を再認識するとともに、子々孫々へと大切に伝えていかなければなりません。

国指定有形民俗文化財

[荻堂貝塚]

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集落の北側丘陵の崖下に形成された今から約3,500年前の貝塚です。
1919年(大正8年)に発掘調査が行われ、土器、石器、骨器、貝殻やイノシシ・ジュゴン・犬の骨が出土した。

県指定有形民俗文化財

和仁屋間(わなま)のテラ

わなまのテラの写真
わなまのテラの写真

『琉球国由来記』によると、このテラは渡口村の高時という人が建立したといわれています。
権現信仰の受け入れと変わり方を知るうえで貴重な拝所です。

仲順大主(ちゅんじゅんうふしゅ)の墓

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墓は琉球石灰岩の岩根を掘り込んでつくられています。
伝承によると仲順大主は、今から約700年前に仲順を統治していた人物で、人々から深く啓慕されていました。

村指定有形民俗文化財

石獅子

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喜舎場公園内にあり、長さ102cm、高さ52cm。
もともとは、集落の西はずれから安谷屋の北側にあったカニサンと呼ばれていた大きな石灰岩に向かって据えられていました。

喜舎場公の墓

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喜舎場村の創設者で、喜舎場公園の後方斜面の中腹に墓があります。
『球陽』の外巻『遺老説伝』に「往昔、喜舎場公なる者有り、此の邑を創建す。」と記されています。

ナスの御嶽(うたき)

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『琉球国由来記』によるとここに祀られている神は「ナスツカサ御イベ」で、安谷屋ノロが祭祀を司っていました。
奥の岩の上には、舜天・舜馬順煕・義本の三王を葬ったとされる墓があります。

荻堂(おぎどう)貝塚

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集落の北側丘陵の崖下に形成された今から約3,500年前の貝塚。
1919年(大正8)に発掘調査が行われ、土器、石器、骨器、貝殻やイノシシ・ジュゴン・犬の骨が出土しました。

荻道のヒージャーガー

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荻道集落の中心部にあり、大正13年に改修し、飲料水やンブガー(産井戸)として利用。
石積みや樋、石敷き、周囲の土留め石積みが残っています。

渡口の梵字碑

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梵字とは、古代インドの言語を記載するのに用いた文字。
この碑には、ア・ビ・ラ・ウン・ケンと刻まれています。

梵字の碑
村内には梵字碑が11基もあり、市町村別では那覇市の9基を上回って県内で最も多い。
石敢當と同じように魔除けの石碑と見られています。

マーカーの御嶽

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島袋の集落の発祥は、上原山(イーバルザン)の東側の真川原といわれ、この御嶽はその頃の集落の腰当てでした。

熱田(あった)マーシリー

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具志頭間切の美男子・白川桃原樽金と勝連間切浜村の美女・浜川真鍋樽がお互いに恋したが、結ばれることなく二人とも焦がれ死にし、遺言によってここに合葬されたといわれています。

村指定史跡

大城(おおぐすく)のイリヌカー

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大城集落の西側(イリ)に位置し、水を溜める池や石敷き、周囲の土留め石積みが残り、北側には琉球石灰岩を掘った地下水路も残っています。

中城若松の墓

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中城若松は、安谷屋の若松ともいい、尚円王と安谷屋ノロとのあいだに生まれた子といわれています。
墓は安谷屋のシンボルでもある通称ユナハンの頂上にあります。

上(いー)の御嶽

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渡口みどり公園内にある拝所。
和仁屋御願(ワナウガン)とも呼ばれ、和仁屋の発祥の地といわれています。
祠は、屋根、壁とも一枚のサンゴ石灰岩でできています。

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