伊寿留按司(いじゅるあじ)の墓
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- 中村家住宅・中城城跡
墓は、中城城跡の入口の高台東端にあり、琉球石灰岩の岩盤の下を掘り込んで造られている。
※拝みのみであれば観覧料不要
墓の前面は琉球石灰岩を相方積みに積んである。伊寿留按司は、山田城の按司の長男で、護佐丸盛春(毛岡鼎)の兄にあたる。城主になるのを望まず、中城間切に移り住み、農業に励んで近隣に聞こえた豪農になり、「伊舎堂安里(屋号)」の始祖となる。伊寿留の屋敷は、大城の東原にあったといわれ、その西側にあるフスグ森は、伊寿留家がもみがらを風で吹き飛ばして脱穀した場所であり、地名もそのことに由来するという。「球陽」(1745年)に、伊舎堂安里の子孫、安仁屋親雲上は、1709年の大飢饉のおり、近隣十ヶ村に米10石を利息なしで貸して救済したと記されている。安里家とその一門は、清明と盆に伊寿留按司の墓を拝み、毛氏一門は、盆と正月に伊舎堂安里家を拝する。子孫は、名乗字「永」を名乗頭としている。
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